退院、そして命あることへの感謝〜くも膜下出血〜

ラッキーとアンラッキーでもプラマイゼロじゃない

私のくも膜下出血の経験は、ある意味説明に困る部分もたくさんあって

こうしてブログを書いていても、同じような経験をされた方がいるかどうか。

共感していただけるかどうか迷うところです。

「○○としか言いようがなくて」とか「どうしてそうなったのかわからなくて」

先生からもそんな説明が多かったように思えます。

 

まず第一に、発病してから90時間も経って手術したのに

言語障害や手足の麻痺など、なんの後遺症も残らなかった事は奇跡です。

食事やリハビリも少し特殊な事をさせてもらいましたし

一般病棟が空いていないという理由で、HCUの立派な個室からそのまま退院したのも

結果的に、快適な入院生活を送らせてもらったなと

有り難いとか思ってしまうような事もたくさんありました。

 

ただ、奇跡的な回復をしたことはラッキーでしたが

そもそも、お酒も飲まない、タバコも吸わない、高血圧でもない

遺伝でもない、割と規則正しく生活してきた私がなぜくも膜下出血になったのか・・・。

そこは大きなアンラッキーでしたよね。今でも「どうして私がなったんだろう」て思うこともあります。

でもまあこれでプラマイゼロってやつですかね。

ううん、でもやっぱり

命が助かっただけで、もう十分プラスな出来事です。

すべてOK!結果オーライと思うようにしています。

今は、こうして生きていられるだけで、感謝の気持でいっぱいです。

 

命懸け、濃厚な3週間

結局、入院生活は3週間でした。くも膜下出血で3週間は回復が早い方だと思います。

一時は「今夜が峠です。」と言われ、覚悟もしましたが

先生方や看護師さんたちの、懸命な治療のお陰で助かったと思っています。

信頼できる病院に出会えて本当に良かったです。

 

退院の日が決まると、静岡の両親が迎えに来てくれました。

両親にも本当に感謝しています。それ以上に、心配かけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

後から聞いて知った話もたくさんありますが

この3週間は家族にとっても長く苦痛な日々だったと思います。

 

あまりのショックで手が震えて、同意書にサインできなかった母の話や

手術が成功した時に、泣き崩れて喜んでくれた姉の話や

自分が変わりになればよかったのに・・・。と呟いていた父の話。

本当に、色んな祈りの気持ちが私の命を助けてくれたんだと思います。

 

生きて帰れた喜び

退院の手続きが済み、自宅に帰ることに。3週間ぶりの我が家はやっぱり落ち着きます。

病名を告げられた時も、開頭手術を受ける時も、涙せずに強気で頑張ってきたけど

「命が助かって本当に良かったね。」と、母親に抱きしめられた時は

本気で号泣してしまいました。母も一緒に泣いてくれました。

 

親より長く生きることは当たり前のことじゃない。

突然こんな人生になってしまった事で、学ぶことも多かったと思います。

自分の緊張の糸が切れてホッとした気持ちと

家族の愛は偉大だということを改めて知ることができました。

 

退院後しばらくは自宅療養

退院したのは、とても寒い2月のこと。早速大雪が降ったりしてとても厳しい毎日でした。

もちろん、退院したからと言って社会復帰はまだまだ出来ません。

失った体力の回復をしなければ、音楽活動も会社へも行けませんしね。

仕事行く時の満員電車は、あれは元気な時でも命懸けですので

徐々に馴らしていかないと乗れない状態でした。

 

食べて、歩く。これだけでも結構大変で

のんびりのんびり散歩しながら身体を動かしました。

3週間も寝たきりになると、足腰が弱くなりますね。

自分の身体が言うことを聞かないってこういう事なんでしょうね。

これから、本当の意味の社会復帰に向けてのリハビリが始まります。

 

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